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競争こそがキミを強くする
学校の先生はテスト以外で生徒に優劣をつけてはいけないという話を耳にした。え?本当?それってマズいんじゃないか?これが私の率直な感想だ。 誰も傷つけないための配慮や表面上の平等さは、一見すると優しさに満ちているように映るかもしれない。しかし学校を一歩出れば、そこには厳格な評価と絶え間ない試練が待ち受けている。守られた空間で優劣や差を徹底的に排除し、互いに競い合う経験や挫折から立ち上がる機会を奪い去ることこそが、子どもの将来にとって最も不健全で残酷なことだと思う。 私たちが生きる資本主義社会の本質は、紛れもなく競争である。企業がより質の高いサービスや優れた製品を開発しようと切磋琢磨するからこそ、技術は進化し、世の中はより便利で快適な場所へと変貌を遂げてきたのだ。健全な競争が存在するからこそ、誰もが自らの智恵と努力を絞り出し、その成果が社会全体に循環して人々を幸せにする。もし誰も競い合わず、どれだけ努力しても成果に差がつかない世界が存在するとすれば、そこには進歩も発展も生まれないだろう。創意工夫を怠り、努力を放棄した停滞した社会が残るだけだ。競い合い、
5 時間前


残り時間は多くない
連日の猛暑から一転、今日は暑さも和らぎ過ごしやすい一日だった。こういう日は少し気も緩むよね。 ところで、中3の受験生諸君。長い夏休みの中で、すでにどのくらいの時間が経過したか自覚しているだろうか? 実は夏休み期間の約40%がすでに過ぎ去っている。この数字を聞いて「まだ6割も残っている」と安易に受け止めたなら、その甘さこそが最大の危険信号だ。夏期講習での拘束時間を考えれば、キミ自身が自分の弱点とじっくり向き合える「完全な自習時間」は、実質的な折り返し地点をとうに過ぎている。 まずはここまでの自身の行動を客観的に振り返らなければならない。夏休みに入る前に立てた計画は予定通りに消化できているだろうか。「明日から本気を出せば追いつく」「後半で巻き返せば問題ない」という先送りの論理は、これまで何度もキミ自身を裏切ってきたはずだ。前半の緩やかなスケジュールの中で実行できなかったことが、焦りと疲労が蓄積する後半になって突然できるようになると信じるほうがどうかしている。 夏休み後半の環境は前半とは一変する。どんなにのんびりしていた周囲の受験生も8月に入ればいよい
8月3日


生きている=特別
先ほど高校時代の友人から連絡があった。 「夏休みに、Sの墓参り行かないか?」 Sは私たちの高校の同級生。サッカー部に所属し、高2時にはディフェンスの要のCB(センターバック)として全国大会にも出場している。その後、高3では主将として部を引っ張っていた。リーダーシップに溢れる好男子。 そんな彼が高校時代に言っていた言葉で印象的だったのは、「寝るのが惜しい。」 「俺が寝た後になにか面白いことが起こるんじゃないかと思うと、おちおち寝てられないんだよね」。このセリフを聞いたとき、コイツ、スゲーなと思ったよ。 高校卒業後は某有名私大に進学し、とある商社に就職。その後、20代前半で結婚し、一男を授かった。浦和に構えた新居に訪問したことがあるが、絵に描いたような幸せな家庭を築いていた。 そんなSは、入社して数年後にアメリカのサンディエゴに駐在していた。サンディエゴはメキシコに近く、主にメキシコの企業相手のビジネスを一任されていたようだ。 そんなとき、悲劇が起こる。 サンディエゴからメキシコの某企業に商談に車で向かう道のり。運転は現地のドライバーに任せていたらし
7月20日


アゲる曲
生徒諸君は、自分の「アゲ曲」を持っているだろうか? カラオケの十八番で場を盛り上げる自信がある曲?それもいいね。ぜひ聴かせてほしいものだ(笑)。 だが、他人のためではなく、自分自身の気持ちを高揚させる(=ブチ上げられる)曲を持っているだろうか? 落ち込んでいるとき。 なんとなく気分が沈んでいるとき。 疲れて何もやりたくないとき。 気分が悪くはないが、パフォーマンスを上げたいとき。 この曲を聴けば、気持ちが切り替わり、前向きになれるよ!という曲。 1曲だけでなくてもいい。その日のメンタル状態に応じて使い分けてもいい。 中学時代のサッカー部の友人のアゲ曲は「スーパーマリオのテーマ」。 試合中に走るのがキツくなったときに、脳内で再生させると動けるようになるそうだ(笑)。 これを聞いた時には笑ったが、同時に「なるほど」とも思った。 自分を鼓舞するためのマイソングは確かに持っていたほうがいいな、と。 で、私の中高時代のアゲ曲はこれ。 歌詞の内容は、当時全くわかってなかったな(笑)。ただ、そんなことはどうでもいい。このアップテンポな曲調が、気分を盛り上げて
7月19日


「量」から得られるもの
かつて当塾に在籍していた、ある男子生徒のエピソードを紹介したい。 彼の名前はY君。小学生の頃からエイムに通い続けてくれていた生徒である。 しかし、中学2年生まではお世辞にも勉強に真面目に取り組んでいるとは言えず、正直成績も大して良くはなかった。塾には来るものの、どこか他人事のような、身の入らない日々が続いていた。 もともと能力が高いタイプというわけでもなかった。そして、数学、理科、社会の3教科は相当苦手にしていたように思う。 そんな彼が、中学3年生の夏前に突然、一念発起する。 ※少なくとも私には、それが「突然」の変化に見えた。 彼が掲げた目標は、その時点の学力から見れば、正直「無理め」なレベルの県立ハイレベル高校であった。 「お、本気でやるんだな」 そこからの彼の行動は、今までの不真面目さが嘘だったかのように、凄まじいの一言に尽きた。 夏期講習の授業・課題をこなすのは当たり前。それ以外の空いた時間は、一分一秒を惜しむように自習室にこもり、ひたすら苦手な理科と社会の問題演習を繰り返した。 エイムの自習室には、中3生がそれぞれ使える個別ロッカーがある
7月17日


【真相】塾名の由来
当教室名の「エイム学習塾」はどのように決まったのか。実は気になってしかたがない関係者も多いことだろう。今回は塾名決定までの道のりについて話したい。 私は映画が好きで結構な数を観ているほうだと思う。そして、好きな映画は何回も繰り返して観る。 複数回視聴している映画はいくつもあるが、5回以上観ている映画はそう多くはない。 その中で、おそらくダントツで視聴回数が多いのが・・・・ 『ストリート・オブ・ファイヤー』だ。 この作品中のヒロインが、ダイアン・レイン演じるエレン・エイム(Ellen Aim) 。 そう、我らがエイム学習塾の名前の由来となった人物だ。美ししすぎるだろう? この教室に集う生徒たちには、彼女のように魅惑的で、そして強い人物になってほしい。そんな願いから塾名を決めたのだ! ・・・・・・・・というのは大嘘。実際の塾名決定ストーリーは以下の通り。 私:「で、・・・・塾の名前何にする?」 家内:「そうねぇ、何がいいかな?とりあえず、(英和)辞書で探しみる?」 私:「そうだね。じゃ、取りあえずAから始まる単語でめぼしいの言ってみて」...
7月13日


「なにこの結果!」と言う前に
「なんでこんな点数なの!」「だからもっと勉強しなさいって言ったでしょ!」 定期テストや模試の結果が返ってきた日、ついつい我が子を叱ってしまう。これは多くの家庭で見られる光景かもしれない。子どもを心配するからこそ、期待しているからこそ、点数を見て焦ったりイライラしたりする気持ちは分かる。しかし、「テストの結果だけで子どもを叱る・非難する」というのは教育上最も無意味な行為である。もっと言えば、子どもの成長を妨げる「最大の障害」にもなり得る。 なぜ結果を見て叱ってはいけないのか。その本質的な理由について私自身が思うことを述べたい。 まず冷静に考えてほしい。テストの点数は、「過去の行動の結果」に過ぎない。すでに終わってしまった結果に対していくら怒っても、タイムマシンがない限り、その点数が上がることは絶対にない。大切なのはそれをどう受け止め、「過去の点数」ではなく、「未来の行動」を変えるかだ。 結果だけを見て非難することは、健康診断の数値が悪かった人に対して「なんでこんなに体重が増えたんだ!」と怒鳴り散らし、具体的な食事改善や運動メニューを教えない医者と同
7月8日


親父の背中
まだ私が幼児だった頃。今でも鮮明に覚えているのが、帰宅して夕食のために居間の座卓に座った父親の背中を登った記憶。大きくて登り甲斐があり、そして、安心できる場所。 私の父親は陸上競技のアスリートだった。中学時代の陸上部で才能が開花し、スポーツ推薦で入学した高校時代には高跳び・幅跳びともにで埼玉県大会で優勝。幅跳びではインターハイ(全国大会)で準優勝している。その後、実業団で陸上をやるために誘われた企業に就職。そこでは目覚ましい実績は残せなかったそうだが、陸上を辞めた後もその会社で定年まで勤め上げた。 そんな父親だが、本人曰く勉強は大の苦手で、特に算数・数学は「分数の計算はできない」「平方根が出てきたときにワケがわからなくて全てをあきらめた」というレベルの学力だったらしい。「俺の息子が算数が得意だなんて信じられん」とよく言っていた。 高卒で無学だと自認する父親ではあったが、活字を読むのは好きだったようだ。確かに本はよく読んでいたし、新聞も時間をかけて隅から隅まで読んだいたように記憶している。年老いてからも毎朝時間をかけて新聞を読み、テーブルの上には常
7月6日


「惜しかった」でいいのか?
今回のサッカーワールドカップ、日本代表の戦いは本当に素晴らしかった。グループステージでの3戦、そして、決勝トーナメントでの強豪ブラジル戦。相手に一歩も引かず、全員が連動した素晴らしい戦い方を見せてくれた。私自身はもちろん、日本中が彼らの健闘を称え拍手を送っている。テレビの前で感動した人も多いだろう。彼らは試合前、そして試合中に間違いなく全力(死力と言ってもいい)を尽くした。 しかし、ピッチに立っていた選手たちの表情はどうだっただろうか。敗戦が決まった瞬間、やるべきことはやったと満足げな表情をしていた選手がいたか?誰一人として笑っていなかったはずだ。皆が悔し涙を流し、うなだれていた。田中碧選手が号泣していたが、世間に同情してもらうためにあんな姿を見せたわけではないのは明らかだ。 なぜ?などと言うまでもない。「結果」がすべてだからだ。 国民は「よくやった」「次につながる良い戦い方だった」と褒める。それは間違いなく本物の称賛だ。だが、当の選手たちは決してそんな言葉で満足しない。なぜなら、彼らが目指したのは良い戦いをすることではなく、「ブラジルに勝って、
7月3日


不正受益
社会とは、人と人とが支え合ってつくるものだ。人間は一人では生きられない。だからこそ、お互いに助け合う。それが社会の大前提であり、誰もが守るべき基本のルールだ。 当然、困っている人や弱い立場にある者は守られるべきだし、力のある者にはその力を誰かのために使う責任がある。学校という小さな社会でも同じだ。勉強や部活で力のある者が、不慣れな仲間をサポートする。その助け合いがあるからこそ、集団は集団として維持され、強くなれる。 しかし、ここで絶対に勘違いしてはならない、そして人としてやってはならない卑怯な行為がある。それは、「自分は弱者だ」という立場を都合よく装い、他人の優しさや社会の仕組みを悪用して、楽をしたり利益を得ようとしたりすることだ。 大人の世界を見渡してみると、残念ながらこうした「偽りの弱者」を装う、恥ずべきニュースが後を絶たない。 例えば、国や自治体が生活に本当に困っている人を支えるための「生活保護」という制度がある。これは病気や怪我でどうしても働けない人のための、社会の大切な命綱だ。しかし、ニュースでは「本当は別の仕事をして十分に収入があるの
6月26日


ギフテッド
塾の講師として気づけば30年近くが経っている。その30年という時間の中で、私自身が「あ、この子は本物の天才(ギフテッド)だ」と心の底から圧倒された生徒が一人だけいる。今回は、その彼のエピソードとそこから私たちが学ぶべき「勉強の本質」について話をしたい。 私が教えていた某所の教室での中3最上位クラス。最後列の隅が定位置のその子は、私の数学の授業中にノートを開かなかった。と言うより、ノートを持ってすらいなかった。私が黒板にどれだけ重要な解法を書こうが、一切メモを取らない。 そして問題演習の時間。普通なら問題ページの余白に計算式をいくつも書き連ね、あちこち思考を巡らせながら答えにたどり着くものだが、彼は違った。途中式を一行すら書かない。ただじっと問題を見つめ、数秒後、解答欄に正解だけを「ポン」と書くのである。 教科書の例題レベルではない。難問と言っていいレベルの入試問題である。気になって「どうやって解いた?」と聞くと、言葉少なに解答導出までの道筋をボソボソと語る。合っている。「このくらいの説明なら先生でもわかりますか?」と言われているような気にもなって
6月24日


失敗した!
バイクの免許を取るために教習所に通い始めた。そして迎えた初回の技能講習、手痛い洗礼を受けた。立ちはだかったのは「一本橋」。結果は散々。何度トライしても途中で落ちてしまう。お世辞にも上手とは言えないスタートだった。 ここで私は何を思ったか。まず単純に悔しかった。「こんなの余裕でしょ!」と高を括っていた自分が恥ずかしい。そして・・・・絶対に克服してやると心に決めた。※克服しないとバイク乗れないし。 で、何をしたか。YouTubeでHowto動画を漁り、克服のための方法を研究した。そして、普段ほとんど乗らない自宅の自転車を引っ張り出し、限界まで速度を落としてバランスを取る練習を繰り返している。理論と実践。「どうすれば落ちないか」を徹底的に体に叩き込んでいる最中だ。 いい歳したオッサンが真剣な顔で自転車(しかも超スローww)に乗っているのだから、傍から見たら異様ですらあるだろう。通報されないかちょっと心配だ(笑)。だが、自分で決めた目標達成のための取組を他人の目を気にして止める気はさらさらない。また、少しずつ進歩している実感があって楽しくすらある。...
6月22日


何を書けばいい?
英作文、国語の課題作文で自分の意見を求められて「何を書けばいいかわからない」と言う生徒や、授業中にどう思うかと尋ねても下を向いて黙ってしまう生徒。これは教科の壁を越えてあらゆる教育現場で起きている深刻な問題だと思う。今に始まったことではないのかもしれないが。 文法がわからないとか漢字が書けないといった技術・技能的な問題以前に、子どもたちが「自分の思ったことをアウトプットする」ことそのものに強いブレーキをかけているように思えてならない。多くの大人はこれを表現力や思考力の不足と考えがちだが、本当の問題はそこではないのではないか。 最大の原因は、「正解バイアス」にあるのではないかと私は考えている。 これまでの学習で用意された一つの正解を当てることに慣れすぎた結果として、「間違った意見を言ったらどうしよう」という正解バイアスの罠に陥り、思考がロックしてしまっているのではないか。 この書けない・言えないという子どもたちに、「自分の思ったことを自由に書いていいんだよ」とただ促しても問題は解決しない。我々のような立場の人間はもちろん、子どもたちの周囲にいる全
6月17日


宝物
まずはっきりと言おう。この世界はお金さえあれば大抵のものが手に入る。それは紛れもない事実だ。 欲しいゲームも、最新のスマホも、贅沢で最高に美味しいご飯も、おしゃれな洋服も、お金があれば一瞬で手に入る。もっと言えば、お金があれば「気ままで快適な生活」や「失敗したときの安心」すら買うことができる。場合によっては他人を思うがままに扱う「権力」や長生きのための「寿命」までも。お金を持つことは強さであり、ある意味では正義だ。だからお金を欲しがる。皆、喉から手が出るほど欲するし、手にする量は多いに越したことはない。そして、それを無駄に失わないように必死になる。 だが、どれだけ大金を積んでも絶対に手に入らない、そして簡単には失うことのない「宝物」も存在する。 わかりやすい例を挙げよう。まずは、スマホゲームの「課金」だ。 お金さえ払えば、一瞬でレアなキャラクターが手に入り、労せずしてレベルが上がり、ゲームの世界で「最強」になれる。お金がもたらす圧倒的な快感だ。そして、データはパスワードという名の鍵で、厳重に守られる。 もうひとつ例を挙げてみよう。「部活」はどうだ
6月15日


遠くを見る
幼い頃、自転車に乗り始めたころの記憶を呼び起こしてみよう。フラフラと体が揺れてしまい、真っ直ぐ進めなかったことだろう。バランスを崩して転倒をしたかもしれない。また、スキーやスノーボードの経験があるなら、初心者のうちは同じような感覚を持ったと思う。 この原因は「すぐ手前の足元ばかり見ている」という一点に尽きる。 人間の身体には目線を向けた方向へ自然と進みバランスを取るという習性があるため、自転車の前輪のすぐ先や、スキー・スノボの足元の雪面ばかりに気を取られていると、小さな段差や雪の凹凸に過剰に反応してしまう。結果としてハンドルや板のコントロールを失って蛇行や転倒を引き起こすことになる。 上達のためには、「視点をできるだけ遠くに置くこと」が有効だ。はるか先の道の奥やゲレンデの麓に視点を固定するだけで、頭部は自然と上がり、背筋が伸び、体幹を中心とした理想的な乗車姿勢や滑走フォームに近づく。実際、普通に自転車に乗れるようになってから前輪ばかり見ながら運転している者はいないだろう。 フォームが変わると、心理的な部分にも好影響がある。近くの景色は猛スピードで
6月12日


生きる=学ぶ
バイクに乗ることにした。 まぁ、バイクと言っても原付2種。ガチのバイク乗りには「それはチャリでしょww」と笑われそうだが。 この歳になると、他人の評価は本当にどうでもよくなる。自分がやりたい!と思ったことを我慢するほどの時間は残されていない。無論、他人に迷惑をかけるような「やりたいこと」は言語道断だが、道徳的にも経済的にも許される「やりたいこと」は何でもやってやろうと思っている。 免許を持っていないので教習所に通うことになる。ただの生徒として教えを乞うという経験もまた楽しみだ。こっぴどく叱られて泣くかな(笑)。もしかしたら、教習所の教官から学ぶことで仕事上役立つことがあるかもしれないなとも思う。 何歳になっても学ぶことは尽きない。そして、新しいことを学び、新しい世界に足を踏み入れる高揚感。たまらないな。 生きるということは、学び続けることだとしみじみ思う。
6月10日


習ってない?だから?
「先生!これまだ習っていません!」 授業中に結構聞く言葉だ。ちょっとした言葉を漢字で書こうとしたときによく出てくるね。 確かに、習っていないことを「知らない」状態であるのは事実だ。しかし、この言葉の裏には、成長を著しく阻害する致命的な姿勢が隠れているように思う。 「まだ習っていません」という言葉は、裏を返せば「だから自分にはできなくて当然であり、やる必要もない」という、思考のブレーキにほかならない。誰かが教えてくれるまで受動的に待つ。与えられた狭い枠の中だけでしか行動しない。このような受け身の姿勢を続けている限り、勉強は常に「他者から強制される苦痛な作業」であり続ける。 主体性のない学びから、高い成果が生まれることは決してない。 学力を飛躍的に伸ばす生徒や、社会に出てから圧倒的な成果を出す人間は、知識を「自ら能動的に取りに行く」という確固たる姿勢を持っている。「まだ習っていないこと」は、行く手を阻む壁ではない。「新しい世界を切り開くための入り口」である。 学校や塾の授業進度で自分の限界を決めることはない。自らの好奇心に従い、貪欲に知識を掴みに行く
6月8日


研ぐ
私はたまに家で料理をする。とはいっても料理が好きなわけでもなく、必要に迫られてやることが多いので、正直に言って作るもの自体に別段のこだわりはない。そんな私でも料理の場面で絶対に譲れないことがある。それは、「切れない包丁は許せない」ということだ。 料理にこだわりがなく、たまにしか使わないのなら、切れ味など適当でいい?逆だ。たまにしか使わないからこそ、最善の状態で使いたい。毎日料理をする人間は、道具の扱いに慣れているため多少の不調は技術でカバーできる。しかし、たまにしか料理をしない人間こそ、道具のポテンシャルを100%引き出すべきだ。切れない包丁でトマトを潰しながら切るストレスほど、無駄なものはない。 しっかりと研ぎ澄まされた包丁は、食材に吸い込まれるように刃が入る。玉ねぎのみじん切りで涙が出ないのも、引き切りで美しく切れるのも、すべて「研ぐ」という事前の準備があるからに他ならない。つまり、研ぐという行為が使用者のレベルを底上げする大きな武器になりえるのだ。 先日、あるクラスで言ったこと。「先の丸まった鉛筆や小さくなり過ぎた消しゴムを使っている生徒で
6月5日


全力で休む
日々の学校での授業や部活。塾での授業・宿題。子どもたちの毎日は、目まぐるしいスケジュールで埋め尽くされている。とは言っても受験もあるから、保護者も「限られた時間の中で、どうすれば効率よく成果を出せるか」と、毎日ハラハラしながら我が子を見守っていることだろう。 現代は「タイパ」や「効率」が重視される時代だ。無駄を極力省き、最短距離でゴールに到達することが正解とされる場面も少なくない。だが、それは本当に目指すべき方向なのだろうか?非効率は本当に悪なのか? これまでの経験で私が確信していることがある。それは、最初から「無駄を省いて最短を目指す」という考え方に囚われすぎると、決して良い結果は生まれないということだ。 一見すると、最短ルートを選ぶことが一番賢く、成果への近道に見えるかもしれない。しかし、無駄を完全に排除した勉強や生活は、薄氷の上を歩くようなものだ。少しでも計画が狂ったり、想定外の壁にぶつかったりした途端に、ポキリと心が折れてしまう。なぜなら、無駄を削ぎ落としすぎた心には、想定外のトラブルを吸収するための「ゆとり」が残っていないから。...
6月3日


根拠なき自信の正体
「北辰の結果見て、自分ではどう思った?このままだと本当にマズいぜ」 入試の迫った11月の三者面談で、危機感MAXの私や保護者を尻目に、「がんばりま~す」と、まるで他人事のような顔で返してくる中3生徒。 「どうしてこの期に及んで危機感を持てないの?」 「現実の厳しさがまるで見えていないのでは?」 そうイライラしてしまう保護者の気持ちは痛いほどよく分かる。私も気持ちは同様だ。だが、実は子どもたちは、サボって現実を無視しているのでも、親を怒らせようとしているのでもないのかもしれない。脳の仕組み上、「データを見せられても、自分事として捉えられない」という深いワケがあるのだ。 心理学や行動経済学の世界には、『楽観主義バイアス』という言葉がある。 人間には、客観的なリスクをどれだけ突きつけられても、「悪いことは自分には起きない」「周りは落ちるかもしれないが、自分だけはなんとかなる」と、無意識に都合よく解釈してしまう脳のクセがある。特に中学生という時期は、客観的にリスクを推し量る脳の「前頭葉」がまだ発達途上だ。だから大人以上に、この「根拠のない自信」というバイ
6月1日
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