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怖いのは「支配されること」
私は、ちょうど10年前にタバコをやめた。 それまではまずまずのヘビースモーカーだったと言っていい。1日に最低1箱。多い日は2箱、40本吸っていた。やめてまず感じたのは、健康面の変化。以前は毎年1度はひどい風邪をひいていたが、それがなくなった。よく言われる食欲増進はなかったので、禁煙により太るようなことにもならなかった。 健康面での改善はもちろんだが、禁煙したことにより私が得た最も大きな変化。それは、時間と精神的な自由を取り戻したことだ。 仕事の途中、移動の前、食事の後。「タバコを吸う」という時間が生活の中で何度も訪れる。かなりの時間をタバコに「支配」されていた。1本吸うのに5分だとして、40本だと200分。実に1日の中で3時間半近く。吸えない場所で「あ~、早く吸いたい」と考えている時間も含めれば、とんでもない量の時間がまさに「煙となって消えていた」と言える。 「でも一服しているその時間は、幸せな時間でしょ?」。そう、私もそう思っていた。だが実際には違う。タバコに依存している状態では、タバコを吸っている時間は「プラス(=幸福)」ではない。「ゼロ(=
23 時間前


No risk, no gain
本当に欲しい成果(ゲイン)を手に入れようと思ったら、そこには必ず何らかの「リスク」が伴う。 「リスク」と聞くと、なんだか危険なことや怖いことを想像するかもしれない。「リスク」の語源とされるイタリア語の「risicare」は「勇気を持って試みる」という意味を持つ。つまり「リスク」とは、その対象の危険性というより、本来は我々自身の「気持ち」を表す言葉なのだ。 誰だって傷つきたくないし、格好悪い思いもしたくない。だから無意識のうちに「傷つかない程度の努力」に抑えようとする。「まあ、そこそこやっておけばいいか」「本気出してダメだったら嫌だしな」と、自分でブレーキをかけて安全地帯に逃げ込んでしまう。これは、子どもだろうが大人だろうが言えることだ。 だが、ここでよく考えてみてほしい。 大人になってからの失敗には、時に取り返しのつかない責任が伴うことがある。場合によってはその後の人生を棒に振る可能性すらある。しかし、小・中学生である君たちは違う。 子どものうちは、「失敗しても許される」という最強の特権を持っている。間違った言葉遣いをして相手を怒らせたって、テス
5 日前


何にこだわるか
日々の勉強に取り組む中で、絶対に忘れてはならない姿勢。それは、「テストの結果に徹底的にこだわる」ということだ。 ここでいうテストとは、北辰テストのような実力模試や学校の定期テストだけを指すのではない。毎回の授業で行われる単語テスト・漢字テスト、確認テストも含め、すべてのテストが対象である。結果を目指さない勉強には何の意味もない。特に中学生はね。 勘違いしないでほしいのは、「結果にこだわる」とは「テスト直前に詰め込んで結果を出せ」ということでは決してないということだ。短期記憶では実力アップにつながらない。 本当の意味で結果にこだわる姿勢とは、日々の問題演習で目の前にある1問1問にどれだけ真剣に向き合えるかにかかっている。本当にそれがわかっているのか・わかっていないのか。それは自分自身が一番よくわかるはずだ。その積み上げが、あらゆるテストの結果に表れる。そしてテストが終わった後には、自分が間違えた問題から逃げずに向き合い、完璧になるまで解き直すことが重要のなのは言うまでもない。それが「結果にこだわる」という言葉の意味だ。 中3であれば受験期が近づいて
9月16日


MOTTAINAI
ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ氏が「MOTTAINAI(もったいない)」を地球規模の言葉として世界に広めた話を知っているだろうか。今や国連のSDGsの根幹をなす理念としても取り上げられている。1つのモノや資源の価値を極限まで引き出し無駄にしない日本人の精神性は、世界中で最も美しく合理的な考え方として称賛されているのだ。 ところで、その日本に生きる君たちの普段の勉強態度を見ていて、私はこれ以上ない「もったいない」を感じている。自分の能力や時間をSDGsとは真逆のやり方で浪費していると思えてならないからだ。 君たちは日々、塾に通い、机に向かい、決して短くない時間を勉強に費やしている。それ自体は素晴らしいことだ。だが、その努力の最後の仕上げにおいて、ほんの少しの手間やわずかな時間の努力を惜しんで(サボって)いる。その結果、手に入るはずだった圧倒的な成果や達成感を自らドブに投げ捨てているのだ。 毎日のように目撃する「もったいない」を具体的に挙げよう。 まずは「間違えた問題の放置」だ。宿題として取り組んだ課題で○×をつけて終わりにするだけ。または
8月31日


とある卒業生の話
当教室を10年前に卒業したOGについ先日会う機会があった。理科のN先生と同級生で桶川東中出身の女の子だ。いや、女の子という表現は失礼かな。文字通り「立派な大人」になっていたのだから。 国内の大学を卒業後、オーストラリアのメルボルン大学大学院で開発学を学んだ。※「開発学」とは、貧困や不平等の根絶、持続可能な社会の実現を目指し、途上国やグローバル課題の解決策を探求する学問分野のこと。 来年からは外務省で働くことが決まったそうだ。彼女の希望としては、アフリカの貧困地域の人々を助ける仕事がしたいとのこと。既に英語は堪能だが、これからフランス語を学んでフランス語圏諸国での仕事を希望しているらしい。実際にその方向に進めることまで内定している。 ここまで聞くと、この彼女は幼いころから超優秀な人物だったと思うかもしれないね。 小学生のころからウチに通ってくれていて、成績が良いほうではあったのは確かだ。だが、彼女より学業成績が優秀だった生徒は少なくともウチのクラス内に3人はいた。塾長目線で率直に言うと、成績抜群!と言えるほどではなかった。 彼女曰く、「小学生のとき
8月28日


臆病者
「臆病」という言葉にはネガティブなイメージがある。「大胆」「積極的」の対極にある言葉だ。だが今回は、自分の臆病さを誇れ!という話をしたい。 私自身、かなりの臆病者であることを自覚している。だが、この「臆病」という性分があったからこそ、私が経営するこの小さな個人塾は25年以上も続いてきたのだとも思っている。自分がやってきた指導について「このままでいいのか?」は常に考え続けていたし、今この瞬間も考えている。「完成した」と思った瞬間はない。 最近バイクの免許を取った際も、教習所で『一本橋』に強い苦手意識があった。肝心の卒業検定で失敗するのが怖くてたまらなかった(※ここを失敗すると、他が完璧でも免許が取得できない)。だから知人に原付バイクを借り、時間を見つけては徹底的に練習を重ねた。なにせ臆病なので、泥臭く練習して少しでも自信をつけることしか考えなかった。 私と同様に自分のことを「臆病だ」と思っている生徒はきっといるだろう。テスト前になれば不安になり、模試の判定を見ては胸が押し潰されそうになる。「もっと自信を持てたらいいのに」と、堂々としている周囲を羨ま
8月26日


競争こそがキミを強くする
学校の先生はテスト以外で生徒に優劣をつけてはいけないという話を耳にした。え?本当?それってマズいんじゃないか?これが私の率直な感想だ。 誰も傷つけないための配慮や表面上の平等さは、一見すると優しさに満ちているように映るかもしれない。しかし学校を一歩出れば、そこには厳格な評価と絶え間ない試練が待ち受けている。守られた空間で優劣や差を徹底的に排除し、互いに競い合う経験や挫折から立ち上がる機会を奪い去ることこそが、子どもの将来にとって最も不健全で残酷なことだと思う。 私たちが生きる資本主義社会の本質は、紛れもなく競争である。企業がより質の高いサービスや優れた製品を開発しようと切磋琢磨するからこそ、技術は進化し、世の中はより便利で快適な場所へと変貌を遂げてきたのだ。健全な競争が存在するからこそ、誰もが自らの智恵と努力を絞り出し、その成果が社会全体に循環して人々を幸せにする。もし誰も競い合わず、どれだけ努力しても成果に差がつかない世界が存在するとすれば、そこには進歩も発展も生まれないだろう。創意工夫を怠り、努力を放棄した停滞した社会が残るだけだ。競い合い、
8月12日


残り時間は多くない
連日の猛暑から一転、今日は暑さも和らぎ過ごしやすい一日だった。こういう日は少し気も緩むよね。 ところで、中3の受験生諸君。長い夏休みの中で、すでにどのくらいの時間が経過したか自覚しているだろうか? 実は夏休み期間の約40%がすでに過ぎ去っている。この数字を聞いて「まだ6割も残っている」と安易に受け止めたなら、その甘さこそが最大の危険信号だ。夏期講習での拘束時間を考えれば、キミ自身が自分の弱点とじっくり向き合える「完全な自習時間」は、実質的な折り返し地点をとうに過ぎている。 まずはここまでの自身の行動を客観的に振り返らなければならない。夏休みに入る前に立てた計画は予定通りに消化できているだろうか。「明日から本気を出せば追いつく」「後半で巻き返せば問題ない」という先送りの論理は、これまで何度もキミ自身を裏切ってきたはずだ。前半の緩やかなスケジュールの中で実行できなかったことが、焦りと疲労が蓄積する後半になって突然できるようになると信じるほうがどうかしている。 夏休み後半の環境は前半とは一変する。どんなにのんびりしていた周囲の受験生も8月に入ればいよい
8月3日


生きている=特別
先ほど高校時代の友人から連絡があった。 「夏休みに、Sの墓参り行かないか?」 Sは私たちの高校の同級生。サッカー部に所属し、高2時にはディフェンスの要のCB(センターバック)として全国大会にも出場している。その後、高3では主将として部を引っ張っていた。リーダーシップに溢れる好男子。 そんな彼が高校時代に言っていた言葉で印象的だったのは、「寝るのが惜しい。」 「俺が寝た後になにか面白いことが起こるんじゃないかと思うと、おちおち寝てられないんだよね」。このセリフを聞いたとき、コイツ、スゲーなと思ったよ。 高校卒業後は某有名私大に進学し、とある商社に就職。その後、20代前半で結婚し、一男を授かった。浦和に構えた新居に訪問したことがあるが、絵に描いたような幸せな家庭を築いていた。 そんなSは、入社して数年後にアメリカのサンディエゴに駐在していた。サンディエゴはメキシコに近く、主にメキシコの企業相手のビジネスを一任されていたようだ。 そんなとき、悲劇が起こる。 サンディエゴからメキシコの某企業に商談に車で向かう道のり。運転は現地のドライバーに任せていたらし
7月20日


アゲる曲
生徒諸君は、自分の「アゲ曲」を持っているだろうか? カラオケの十八番で場を盛り上げる自信がある曲?それもいいね。ぜひ聴かせてほしいものだ(笑)。 だが、他人のためではなく、自分自身の気持ちを高揚させる(=ブチ上げられる)曲を持っているだろうか? 落ち込んでいるとき。 なんとなく気分が沈んでいるとき。 疲れて何もやりたくないとき。 気分が悪くはないが、パフォーマンスを上げたいとき。 この曲を聴けば、気持ちが切り替わり、前向きになれるよ!という曲。 1曲だけでなくてもいい。その日のメンタル状態に応じて使い分けてもいい。 中学時代のサッカー部の友人のアゲ曲は「スーパーマリオのテーマ」。 試合中に走るのがキツくなったときに、脳内で再生させると動けるようになるそうだ(笑)。 これを聞いた時には笑ったが、同時に「なるほど」とも思った。 自分を鼓舞するためのマイソングは確かに持っていたほうがいいな、と。 で、私の中高時代のアゲ曲はこれ。 歌詞の内容は、当時全くわかってなかったな(笑)。ただ、そんなことはどうでもいい。このアップテンポな曲調が、気分を盛り上げて
7月19日


「量」から得られるもの
かつて当塾に在籍していた、ある男子生徒のエピソードを紹介したい。 彼の名前はY君。小学生の頃からエイムに通い続けてくれていた生徒である。 しかし、中学2年生まではお世辞にも勉強に真面目に取り組んでいるとは言えず、正直成績も大して良くはなかった。塾には来るものの、どこか他人事のような、身の入らない日々が続いていた。 もともと能力が高いタイプというわけでもなかった。そして、数学、理科、社会の3教科は相当苦手にしていたように思う。 そんな彼が、中学3年生の夏前に突然、一念発起する。 ※少なくとも私には、それが「突然」の変化に見えた。 彼が掲げた目標は、その時点の学力から見れば、正直「無理め」なレベルの県立ハイレベル高校であった。 「お、本気でやるんだな」 そこからの彼の行動は、今までの不真面目さが嘘だったかのように、凄まじいの一言に尽きた。 夏期講習の授業・課題をこなすのは当たり前。それ以外の空いた時間は、一分一秒を惜しむように自習室にこもり、ひたすら苦手な理科と社会の問題演習を繰り返した。 エイムの自習室には、中3生がそれぞれ使える個別ロッカーがある
7月17日


【真相】塾名の由来
当教室名の「エイム学習塾」はどのように決まったのか。実は気になってしかたがない関係者も多いことだろう。今回は塾名決定までの道のりについて話したい。 私は映画が好きで結構な数を観ているほうだと思う。そして、好きな映画は何回も繰り返して観る。 複数回視聴している映画はいくつもあるが、5回以上観ている映画はそう多くはない。 その中で、おそらくダントツで視聴回数が多いのが・・・・ 『ストリート・オブ・ファイヤー』だ。 この作品中のヒロインが、ダイアン・レイン演じるエレン・エイム(Ellen Aim) 。 そう、我らがエイム学習塾の名前の由来となった人物だ。美ししすぎるだろう? この教室に集う生徒たちには、彼女のように魅惑的で、そして強い人物になってほしい。そんな願いから塾名を決めたのだ! ・・・・・・・・というのは大嘘。実際の塾名決定ストーリーは以下の通り。 私:「で、・・・・塾の名前何にする?」 家内:「そうねぇ、何がいいかな?とりあえず、(英和)辞書で探しみる?」 私:「そうだね。じゃ、取りあえずAから始まる単語でめぼしいの言ってみて」...
7月13日


「なにこの結果!」と言う前に
「なんでこんな点数なの!」「だからもっと勉強しなさいって言ったでしょ!」 定期テストや模試の結果が返ってきた日、ついつい我が子を叱ってしまう。これは多くの家庭で見られる光景かもしれない。子どもを心配するからこそ、期待しているからこそ、点数を見て焦ったりイライラしたりする気持ちは分かる。しかし、「テストの結果だけで子どもを叱る・非難する」というのは教育上最も無意味な行為である。もっと言えば、子どもの成長を妨げる「最大の障害」にもなり得る。 なぜ結果を見て叱ってはいけないのか。その本質的な理由について私自身が思うことを述べたい。 まず冷静に考えてほしい。テストの点数は、「過去の行動の結果」に過ぎない。すでに終わってしまった結果に対していくら怒っても、タイムマシンがない限り、その点数が上がることは絶対にない。大切なのはそれをどう受け止め、「過去の点数」ではなく、「未来の行動」を変えるかだ。 結果だけを見て非難することは、健康診断の数値が悪かった人に対して「なんでこんなに体重が増えたんだ!」と怒鳴り散らし、具体的な食事改善や運動メニューを教えない医者と同
7月8日


親父の背中
まだ私が幼児だった頃。今でも鮮明に覚えているのが、帰宅して夕食のために居間の座卓に座った父親の背中を登った記憶。大きくて登り甲斐があり、そして、安心できる場所。 私の父親は陸上競技のアスリートだった。中学時代の陸上部で才能が開花し、スポーツ推薦で入学した高校時代には高跳び・幅跳びともにで埼玉県大会で優勝。幅跳びではインターハイ(全国大会)で準優勝している。その後、実業団で陸上をやるために誘われた企業に就職。そこでは目覚ましい実績は残せなかったそうだが、陸上を辞めた後もその会社で定年まで勤め上げた。 そんな父親だが、本人曰く勉強は大の苦手で、特に算数・数学は「分数の計算はできない」「平方根が出てきたときにワケがわからなくて全てをあきらめた」というレベルの学力だったらしい。「俺の息子が算数が得意だなんて信じられん」とよく言っていた。 高卒で無学だと自認する父親ではあったが、活字を読むのは好きだったようだ。確かに本はよく読んでいたし、新聞も時間をかけて隅から隅まで読んだいたように記憶している。年老いてからも毎朝時間をかけて新聞を読み、テーブルの上には常
7月6日


「惜しかった」でいいのか?
今回のサッカーワールドカップ、日本代表の戦いは本当に素晴らしかった。グループステージでの3戦、そして、決勝トーナメントでの強豪ブラジル戦。相手に一歩も引かず、全員が連動した素晴らしい戦い方を見せてくれた。私自身はもちろん、日本中が彼らの健闘を称え拍手を送っている。テレビの前で感動した人も多いだろう。彼らは試合前、そして試合中に間違いなく全力(死力と言ってもいい)を尽くした。 しかし、ピッチに立っていた選手たちの表情はどうだっただろうか。敗戦が決まった瞬間、やるべきことはやったと満足げな表情をしていた選手がいたか?誰一人として笑っていなかったはずだ。皆が悔し涙を流し、うなだれていた。田中碧選手が号泣していたが、世間に同情してもらうためにあんな姿を見せたわけではないのは明らかだ。 なぜ?などと言うまでもない。「結果」がすべてだからだ。 国民は「よくやった」「次につながる良い戦い方だった」と褒める。それは間違いなく本物の称賛だ。だが、当の選手たちは決してそんな言葉で満足しない。なぜなら、彼らが目指したのは良い戦いをすることではなく、「ブラジルに勝って、
7月3日


不正受益
社会とは、人と人とが支え合ってつくるものだ。人間は一人では生きられない。だからこそ、お互いに助け合う。それが社会の大前提であり、誰もが守るべき基本のルールだ。 当然、困っている人や弱い立場にある者は守られるべきだし、力のある者にはその力を誰かのために使う責任がある。学校という小さな社会でも同じだ。勉強や部活で力のある者が、不慣れな仲間をサポートする。その助け合いがあるからこそ、集団は集団として維持され、強くなれる。 しかし、ここで絶対に勘違いしてはならない、そして人としてやってはならない卑怯な行為がある。それは、「自分は弱者だ」という立場を都合よく装い、他人の優しさや社会の仕組みを悪用して、楽をしたり利益を得ようとしたりすることだ。 大人の世界を見渡してみると、残念ながらこうした「偽りの弱者」を装う、恥ずべきニュースが後を絶たない。 例えば、国や自治体が生活に本当に困っている人を支えるための「生活保護」という制度がある。これは病気や怪我でどうしても働けない人のための、社会の大切な命綱だ。しかし、ニュースでは「本当は別の仕事をして十分に収入があるの
6月26日


ギフテッド
塾の講師として気づけば30年近くが経っている。その30年という時間の中で、私自身が「あ、この子は本物の天才(ギフテッド)だ」と心の底から圧倒された生徒が一人だけいる。今回は、その彼のエピソードとそこから私たちが学ぶべき「勉強の本質」について話をしたい。 私が教えていた某所の教室での中3最上位クラス。最後列の隅が定位置のその子は、私の数学の授業中にノートを開かなかった。と言うより、ノートを持ってすらいなかった。私が黒板にどれだけ重要な解法を書こうが、一切メモを取らない。 そして問題演習の時間。普通なら問題ページの余白に計算式をいくつも書き連ね、あちこち思考を巡らせながら答えにたどり着くものだが、彼は違った。途中式を一行すら書かない。ただじっと問題を見つめ、数秒後、解答欄に正解だけを「ポン」と書くのである。 教科書の例題レベルではない。難問と言っていいレベルの入試問題である。気になって「どうやって解いた?」と聞くと、言葉少なに解答導出までの道筋をボソボソと語る。合っている。「このくらいの説明なら先生でもわかりますか?」と言われているような気にもなって
6月24日


失敗した!
バイクの免許を取るために教習所に通い始めた。そして迎えた初回の技能講習、手痛い洗礼を受けた。立ちはだかったのは「一本橋」。結果は散々。何度トライしても途中で落ちてしまう。お世辞にも上手とは言えないスタートだった。 ここで私は何を思ったか。まず単純に悔しかった。「こんなの余裕でしょ!」と高を括っていた自分が恥ずかしい。そして・・・・絶対に克服してやると心に決めた。※克服しないとバイク乗れないし。 で、何をしたか。YouTubeでHowto動画を漁り、克服のための方法を研究した。そして、普段ほとんど乗らない自宅の自転車を引っ張り出し、限界まで速度を落としてバランスを取る練習を繰り返している。理論と実践。「どうすれば落ちないか」を徹底的に体に叩き込んでいる最中だ。 いい歳したオッサンが真剣な顔で自転車(しかも超スローww)に乗っているのだから、傍から見たら異様ですらあるだろう。通報されないかちょっと心配だ(笑)。だが、自分で決めた目標達成のための取組を他人の目を気にして止める気はさらさらない。また、少しずつ進歩している実感があって楽しくすらある。...
6月22日


何を書けばいい?
英作文、国語の課題作文で自分の意見を求められて「何を書けばいいかわからない」と言う生徒や、授業中にどう思うかと尋ねても下を向いて黙ってしまう生徒。これは教科の壁を越えてあらゆる教育現場で起きている深刻な問題だと思う。今に始まったことではないのかもしれないが。 文法がわからないとか漢字が書けないといった技術・技能的な問題以前に、子どもたちが「自分の思ったことをアウトプットする」ことそのものに強いブレーキをかけているように思えてならない。多くの大人はこれを表現力や思考力の不足と考えがちだが、本当の問題はそこではないのではないか。 最大の原因は、「正解バイアス」にあるのではないかと私は考えている。 これまでの学習で用意された一つの正解を当てることに慣れすぎた結果として、「間違った意見を言ったらどうしよう」という正解バイアスの罠に陥り、思考がロックしてしまっているのではないか。 この書けない・言えないという子どもたちに、「自分の思ったことを自由に書いていいんだよ」とただ促しても問題は解決しない。我々のような立場の人間はもちろん、子どもたちの周囲にいる全
6月17日


宝物
まずはっきりと言おう。この世界はお金さえあれば大抵のものが手に入る。それは紛れもない事実だ。 欲しいゲームも、最新のスマホも、贅沢で最高に美味しいご飯も、おしゃれな洋服も、お金があれば一瞬で手に入る。もっと言えば、お金があれば「気ままで快適な生活」や「失敗したときの安心」すら買うことができる。場合によっては他人を思うがままに扱う「権力」や長生きのための「寿命」までも。お金を持つことは強さであり、ある意味では正義だ。だからお金を欲しがる。皆、喉から手が出るほど欲するし、手にする量は多いに越したことはない。そして、それを無駄に失わないように必死になる。 だが、どれだけ大金を積んでも絶対に手に入らない、そして簡単には失うことのない「宝物」も存在する。 わかりやすい例を挙げよう。まずは、スマホゲームの「課金」だ。 お金さえ払えば、一瞬でレアなキャラクターが手に入り、労せずしてレベルが上がり、ゲームの世界で「最強」になれる。お金がもたらす圧倒的な快感だ。そして、データはパスワードという名の鍵で、厳重に守られる。 もうひとつ例を挙げてみよう。「部活」はどうだ
6月15日
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