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生きている=特別

  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

先ほど高校時代の友人から連絡があった。

「夏休みに、Sの墓参り行かないか?」


Sは私たちの高校の同級生。サッカー部に所属し、高2時にはディフェンスの要のCB(センターバック)として全国大会にも出場している。その後、高3では主将として部を引っ張っていた。リーダーシップに溢れる好男子。


そんな彼が高校時代に言っていた言葉で印象的だったのは、「寝るのが惜しい。」


「俺が寝た後になにか面白いことが起こるんじゃないかと思うと、おちおち寝てられないんだよね」。このセリフを聞いたとき、コイツ、スゲーなと思ったよ。


高校卒業後は某有名私大に進学し、とある商社に就職。その後、20代前半で結婚し、一男を授かった。浦和に構えた新居に訪問したことがあるが、絵に描いたような幸せな家庭を築いていた。


そんなSは、入社して数年後にアメリカのサンディエゴに駐在していた。サンディエゴはメキシコに近く、主にメキシコの企業相手のビジネスを一任されていたようだ。


そんなとき、悲劇が起こる。


サンディエゴからメキシコの某企業に商談に車で向かう道のり。運転は現地のドライバーに任せていたらしい。約束の時刻に遅れまいと急いでいたのかもしれない。


高速で走行中、ドライバーがハンドル操作を誤り大クラッシュ・・・・・・。

ドライバーは一命を取り留めたものの、後部座席に座っていたSは帰らぬ人となった。


なにしろまだ20代だったからね。新しい家族を得て、仕事でも順調にステップアップしているような時期。そんなタイミングで人生を終えることになるなんて、周囲の人間はもちろん、当の本人だって想像すらしてなかったと思う。


無念だったろうな。

面白いことに出会うために寝ることすら惜しいと言っていた男なんだから。普通ならあと何十年も、面白いことに出会う時間が残されていたはずなのだから。


彼の死は本当にショックだった。

同時に、自分が生きていること・まだ時間が残っていることに真正面から向き合う契機になった。


今、呼吸をしているということ。就寝してまた明朝を迎えられるということ。

当たり前に思える日常が、実はものすごく特別なことなのだと思う。


今、我々がここに存在していること自体が「当たり前」ではないのだ。それを失う機会は、突如として訪れる可能性があるということだ。


その特別な時間を、単なる一時的な快楽のためだけに、自分のためでないもののために使うのは、あまりにもったいないとは思わないか?


自分の持ち時間は有限だ。

だからこそ、今この瞬間に何をすべきか。真剣に考える必要があるよな。

 
 
 

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