何を書けばいい?
- 2 分前
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英作文、国語の課題作文で自分の意見を求められて「何を書けばいいかわからない」と言う生徒や、授業中にどう思うかと尋ねても下を向いて黙ってしまう生徒。これは教科の壁を越えてあらゆる教育現場で起きている深刻な問題だと思う。今に始まったことではないのかもしれないが。
文法がわからないとか漢字が書けないといった技術・技能的な問題以前に、子どもたちが「自分の思ったことをアウトプットする」ことそのものに強いブレーキをかけているように思えてならない。多くの大人はこれを表現力や思考力の不足と考えがちだが、本当の問題はそこではないのではないか。
最大の原因は、「正解バイアス」にあるのではないかと私は考えている。 これまでの学習で用意された一つの正解を当てることに慣れすぎた結果として、「間違った意見を言ったらどうしよう」という正解バイアスの罠に陥り、思考がロックしてしまっているのではないか。
この書けない・言えないという子どもたちに、「自分の思ったことを自由に書いていいんだよ」とただ促しても問題は解決しない。我々のような立場の人間はもちろん、子どもたちの周囲にいる全ての大人は、「思考を起動させる具体的な呼び水」を用意すべきなのだと思う。
子どもに対して対等な立場としての意見を求める姿勢を見せ、どんな意見であってもそれがその子の考えなら、それを発信できたことでまず最大限の評価をする。実社会に出れば答えが分かれる問題ばかりだからこそあなたの声を聞きたいと伝え続け、正解などないという安心感を与える。一方で、あまりにアナーキーな(笑)意見が出てきたときには、根拠をもって大人としての意見(戒め)を伝え、その考えについてどう思うかを問う。この対話の繰り返しが子どもたちの発信力を醸成するのだと思う。
いきなり大きなテーマを丸投げするのではなく、問いを細分化してイエスかノーかの二択に落とし込み、まずは「自分の考えに近いものを選ぶ」ことからスタートさせるアプローチも有効だろう。さらに、友達の意見に賛成だからという理由や、教科書やネット等の情報に対する同意(あるいは逆に違和感)など、他者の意見を借りてそこに乗っかる形での発言をも受け入れる。ゼロから作り上げなくとも、他者との比較で自分の立ち位置を決めること自体が立派な「意見」だからである。我々大人の寛容さも問われているのだ。
意見に「正解」などない。それぞれが持つ意見をお互いにぶつけ合う関係性が保てる空間こそが健全な社会だ。
これを読んだ生徒や保護者、または、会ったことのない人々からの意見を歓迎する。





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