top of page

主従逆転

  • 2 日前
  • 読了時間: 3分


王様と家来。 王は自らの要望を満たすために家来を意のままに使う。家来はそれを忠実に実行する。 完全なる主従関係。基本的にこの関係が逆転することはない。


我々は王族ではないから自分の意のままに動く家来はいない。が、日常生活の様々な場面において「家来的な役割」を果たしてくれる道具を持つようになっている。スマートフォンを始めとするデジタルデバイスがそれだ。


わからない言葉が出てきたら辞書を引いて調べる。目的地までの道順を調べるために地図帳を開く。ニュースを得るために新聞を読む。新幹線のチケットを取る。予定をダイアリーに書き込む。必要な資料を郵送で届ける。天気予報を確認する。心拍数を測る。レシピを閲覧する。家計簿をつける。複雑な計算をする。買い物リストを作る。大切な予定の前にリマインドさせる。美容室や病院の予約をする。・・・・ちょっと思いつくだけでもこれだけのことを簡単な指示だけで手元の「家来」がやってくれる。


本当に便利な世の中になったものだ。生徒諸君のようなデジタルネイティブ世代にとっては、便利どころか当たり前なんだろうが。


ところで、ここからが今回の本題。 これだけデバイスが発達・普及し、さらにAIの目覚ましい進化が起こっている昨今、ちょっとした懸念もある。「主従関係の逆転」だ。


これまでは、いくらITが進化してもそれらはあくまで便利な道具に過ぎず、主(あるじ)は使用者である人間だった。人間が王様、デバイスは家来。ところが、この逆転現象が起き始めている。


・英作文の課題に翻訳ソフトを使う。

・読書感想文をはじめとした作文を生成AIに書かせる。

・数学の問題をAIに解かせる。


これらは主である頭脳労働をAIが行い、人間が「書き写す作業」を行う。主従関係が入れ替わっているのがわかるだろう。人工知能の命令通りに人間が使われているのだ。


その内容にある程度成熟した人間が補完的な役割を担わせるために使用するのは問題ない(というより非常に有効)だが、知識ゼロの状態でAIに課題を丸投げして、出てきた答えを丸写しするのは愚の骨頂。成長の機会を自ら無にしているに等しい。機械に使われているのだから、人間性の放棄と言ってもいいか。


何よりも危惧するのは、その行為を続けることで主体性が育たず、AIまたは他人に具体的な指示をされないと何もできない人間になること。もっと言えば、自分以外のものの言いなりになることでしか生きられなくなるということ。


身体を動かさなくなると運動機能は落ちる。同様に、頭を使わなくなると脳の機能が低減するのは自明。年齢だけ重ねれば能力(脳力)が上がるというものでもない。


「道具」「家来」になって生きたいのか、否か。 実は生徒諸君は今、かなり大きな問いを投げかけられているのだよ。


 
 
 

最新記事

すべて表示
善意の果て

純粋な善意から、相手のためを思って何らか汗をかいたとしよう。 この善意をどう受け取るかは受け手次第。ありがたいと感じることもあるだろうし、余計なお節介だと思うこともあるだろう。それは発信側側も想定内だと思う。 一番辛いのは、その善意に何の反応もないことではないか。 まぁ、善意の押し売りをしても仕方がないとも言えるが。

 
 
 

コメント


bottom of page