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捨て駒

  • 5月28日
  • 読了時間: 2分

『ダークナイト』。クリストファー・ノーラン監督の言わずと知れた名作で、私が大好きな映画のひとつである。バットマンは「正義の象徴」であるハービー・デントを守るため、彼の犯した罪をすべて自分が被り、警察から追われる犯罪者として闇に消えていく。まさに自らが「捨て駒」となることで社会を守ろうとする究極のヒロイズム。カッコいいぜ。


ところで最近、ヒロイズムの欠片もなく、ちっともカッコよくない、高校生が「捨て駒」になる事件が多く起きている。


「高校生はまだ未熟ゆえ、(大人の)犯罪者に脅されて逃げ場をなくし犯行におよんだ」といった論調の報道もある。たしかに未熟。だがそれは、その行動を犯罪と認識できていないほどの未熟さではないはずだ。他人の家に入り込んで物を盗んだり人を傷つけたりすることが悪いことだとわからないほどバカではないだろう。


提示された報酬と前科がつく(場合によっては人生を棒に振る)リスクとの釣り合いが計算できないという未熟さはあろう。ただそれは例の指示役の若夫婦にも言えることだから、未成年ゆえの未熟さというわけでもない。年齢に関係なく、目先のいくばくかの報酬のために上の人間の命令にただ従ってしまうという幼稚性・依存性。大義も何もない単なる「捨て駒」であると認識できているのか否か。ちょっと考えれば小学生でもわかりそうなものだが。


ダークナイトでバットマンがカッコいいのは、大義のために自らの意思で「捨て駒」になっているからだ。自分の意思も何もなく、もしかしたら「捨て駒」である認識もなく使われているとしたらそれは・・・・「残念な人」でしかない。究極のカッコ悪さ。もう本当に見てるほうが恥ずかしくなるほど。 いくら外見を整えたところで、精神性が低ければ超カッコ悪い。私はそう思っている。

生徒諸君はどう思うのだろうか?






 
 
 

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