無駄な勉強

「関数の勉強なんかして、将来役に立つんですか?」
生徒にそう聞かれることがある。もっともな疑問だ。学校で習うことの多くは、社会に出てから使う場面がすぐには思い浮かばないかもしれない。たしかに、関数の問題が解けなくても毎日の生活は送れるだろう。
それでも私は、「すぐ役に立たないから無駄」とは思っていない。
私自身、大学では工学部で流体工学を専攻した。けれど卒業後に自ら望んで就いたのは、営業職(広告を売る仕事)だった。そして今は学習塾の塾長をしている。大学卒業後はベルヌーイの定理もナビエストークス方程式も境界層剥離についての研究結果も使ったことはない。考えたことすらない。
では、大学で学んだ時間は無駄だったのか。
そうは思わない。専門知識がそのまま仕事に結びつかなくても、複雑なことを順序立てて考える力・答えがすぐに出ない問題に向き合う姿勢・アプローチの選択法などは、形を変えて体の中に残っている。何を学んだかだけでなく学ぶ過程で何を身につけたかが、その後の自分を支えている。たぶんね。
大学時代の友人には、大学院で博士号を取得したあと紆余曲折あって車屋を営んでいるヤツがいる。「せっかく博士号まで取ったのに、研究職に就かないのはもったいない!」そう感じる人もいるだろう。しかし、本人が望み選んだ道で知識や経験を生かしながら仕事をしているなら、博士課程で過ごした時間を「無駄」と決めつけることはできない。学んだことは進路を一つに縛るためではなく、選択肢を広げるためにある。彼は今、自分の最もやりたいことに取り組めている。
会社員時代の同じ職場での一つ上の先輩に、旧帝大で原子物理学を専攻した人がいた。冗談めかして「ウランをもらえれば原爆造れるよw」と言うような、物騒なくらい物理に詳しい人だった。その先輩は営業としてもかなり優秀だった。大学で学んだ原子物理学を営業の場で直接使うわけではない(使えるわけがないw)。それでも、専門的なことを深く学んだ経験と、営業の仕事で力を発揮することは、彼一人の中で両立していたのだと思う。
学んだことがすべて役に立つとは限らない。忘れてしまう知識もある。学んだ内容をそのまま使わないままで終わることすらある。
しかし、「その知識を使ったかどうか」だけで、学びの価値は決まらない。あるときは考え方の土台になり、あるときは進路を選ぶヒントになり、ずっとあとになって思いがけない形で役立つことがあるのかもしれない。
今キミたちが取り組んでいる目の前の勉強も同じだ。将来、仕事で関数の解法を使うかどうかは分からない。それでも、条件を整理し、関係を見つけ、答えにたどり着く練習には確実になる。そして、今は使い道が見えなくても、学んだ経験がいつか別の形でつながる。
今は役に立つか分からなくても、無駄だと決めるのは早い。人生では当時は遠回りに見えた経験があとになって自分を助けることがある。学びの価値は学んでいる最中には測りきれない。
学ぶことに無駄なんかない。





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